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東京高等裁判所 昭和61年(ネ)1029号 判決 1988年6月29日

控訴人

佐藤恵美子

訴訟代理人弁護士

斉藤勘造

被控訴人

株式会社レストラン西武

代表者代表取締役

和田繁明

訴訟代理人弁護士

長谷則彦

水石捷也

秋元善行

主文

一  原判決中被控訴人に関する部分を取り消す。

二  被控訴人は控訴人に対し、金二四〇四万一六二八円及びこれに対する昭和五五年四月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

四  この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文と同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

控訴棄却の判決を求める。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、左記のほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

1  原判決六枚目裏九行目の「生までれある」を「生まれである」と改める。

2  同九枚目表三行目から同七行目までの記載を次のように改める。

「よって、控訴人は被控訴人に対し、本件事故による損害賠償として四三五一万二九五六円の内金二四〇四万一六二八円及びこれに対する本件事故の日である昭和五五年四月一六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因1の事実及び同2(二)の事実のうち被控訴会社が本件事故当時小林(原審相被告小林利治)を雇用していたこと、本件事故は小林がその勤務先である被控訴会社の経営する東京都庁内食堂から帰宅途中に起こした事故であること、及び小林は日頃電車で通勤していたが、本件事故当日は私鉄及び国鉄の交通ストライキが予定されていたため田口(田口幸男)から加害車両(原動機付自転車)を借り受け出勤したことはいずれも当事者間に争いがない。

二1  <証拠>を総合すれば、次のような事実を認めることができる。

(一)  小林は昭和五三年に高等学校を卒業して四月に被控訴会社に入社し、埼玉県吉川町にあるゴルフ場内の食堂でウエイターとして勤めた後、有楽町にある東京都庁内の第一食堂(以下「本件食堂」という。)においてコックの見習として勤務していた。小林は、右ゴルフ場内の食堂に勤めていた時は右食堂が交通の不便な所にあったためいわゆるマイカー通勤をしていたが、本件食堂に勤めるようになってからは、通常、埼玉県岩槻市内の自宅から岩槻駅まで徒歩で行き、岩槻から大宮までは東武野田線を利用し、大宮から有楽町までは国電を利用して通勤し、マイカーで通勤したことはなかった。

(二)  本件事故前日である昭和五五年四月一五日には、翌一六日に国鉄及び私鉄のストライキが行われることは必至であると新聞等で報じられていたため、本件食堂においても翌一六日に営業ができるかどうか、従業員のストライキの際の出勤の能否の確認がなされた。すなわち、被控訴会社の事業所である本件食堂において、当時、店長原彬のほかにはチーフコックの益子実が管理職としての辞令を受けていたが、原店長が着任後日が浅いためもあって、益子が主となって右従業員の出勤の能否の確認が行われた。

(三)  当時本件食堂には、原店長のもとにパートタイマーを含めて約二〇名の従業員が配属されており、そのうち厨房関係で働く者が約一二名で(コックは、益子のほか小林ら約六名で、他は女性のパートタイマー)、洋食、和食、中華、日本そば、喫茶を分担していた。

小林は、一五日の午後から行われた益子による前記翌日出勤の能否の確認に対し、「出勤出来ない」旨一旦は答えていたのであるが、後刻、女性従業員は翌日全員が優先的に休むことになった旨を知るに及んで、自分が当時見習コックでいわば新参者の身でもあった関係で、職場のために貢献したいとの真情から、少々無理をしてでも出勤しようと考え直し、益子に対し「明日は出勤する」旨を改めて申し出た。小林は、車(四輪)を所有していたので、それを運転しても来ることはできるが、ストの場合の道路の渋滞を考えるとむしろ小廻りのきくバイクの方が早く到着できるであろうと思われたところから、同じ岩槻市内に住む叔父の田口からバイクを借りて出勤しようと考えて右の申し出を行った。益子は、その住いが埼玉県久喜市内で、日頃小林とは大宮まで一緒に国電を利用して帰る間柄で小林の通勤経路を良く知っており、益子自身翌一六日には出勤しない考えでいたので、小林に対し、「どうやって来るつもりか」と尋ねた。そこで小林が「おじさんにバイクを借りてでも来ます」と述べたのに対し、益子は、「本当に来られるんだったら、気をつけて来てくれ」と答えた。

益子は、小林以外の者についても、「出勤できる」と答えた者については何で来るのかをそれぞれに確認し(因みに、コック松尾一男は、自家用車かバイクで出勤する考えであった。)、かくして、翌日ストライキが実施された場合でもメニューを減らして必要最少限の営業を行うには支障のない人数の出勤が確保できるに至ったので、当日閉店後の終礼に際しては、原店長及び益子チーフコックから、翌日の出勤可能者に対し改めて出勤可能の確認が行われ、翌日ストライキが行われても営業を行うことが確定された。

(四)  そこで小林は、当夜帰宅後、叔父に電話してバイクを借りる承諾を得、翌一六日の朝は平常より一時間以上早い午前六時前に自宅を出て叔父宅へ行き、そこからバイク(本件加害車両)を運転して出勤したが、不案内な道路を走行してきたため定刻(午前九時)より遅れて本件食堂に到着した。しかし、当日の私鉄ストライキは、小林が右のようにして家を出たあとである朝六時一〇分に中止命令が発せられ、各私鉄とも中止指令後三〇分以内に電車が動き出したため、本件食堂の従業員は、パートの女性も含めて平常の出勤時間までに出勤した。小林は、スト中止を知らずに遅れて出勤し、益子に対し、予定どおり加害車両を運転して来て出勤が遅れた旨を報告し、加害車両をどこに駐車しておいたらよいかを尋ね、その指示により本件食堂脇の通路に加害車両を運び入れておいた。そして小林は、当日の勤務を終えて午後四時半すぎに再び加害車両を運転し本件食堂を出発して帰途に就き、その途中本件事故を惹起したのであるが、右の出発に際しては、益子が「気をつけて帰れよ」と声をかけて小林の運転を見送った。

以上(一)ないし(四)の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 右認定の事実関係のもとにおいては、小林による本件加害車両の運転は、被控訴会社の業務(ストライキ当日の本件食堂の営業)と密接に関連していたものであって、被控訴会社が右車両の運転を少なくとも容認していたことは明らかであるから、被控訴会社は小林の運転する加害車両の運行について運行支配と運行利益を有し、加害車両を自己のため運行の用に供していた者と認めるのが相当である。したがって、被控訴会社は控訴人に対し、自動車損害賠償保障法第三条に基づく損害賠償責任を負うものというべきである。

三本件事故による控訴人の受傷及び治療の経過並びに損害についての当裁判所の認定判断は、原審の相被告小林利治についてのそれと同じであるから、この点に関する原判決理由第一の三、四をここに引用する(ただし、原判決一七枚目表一〇行目及び同裏四行目の各「被告小林」をいずれも「被控訴人」と改める。)。

四そうすると、被控訴人に対し本件事故に基づく損害賠償として計金二四〇四万一六二八円及びこれに対する本件事故の日である昭和五五年四月一六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、これを棄却した原判決は不当であり本件控訴は理由があるから民事訴訟法第三八六条に従い原判決中被控訴人に関する部分を取り消して被控訴人に対する控訴人の請求を認容し、訴訟費用の負担につき同法第九六条、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官田尾桃二 裁判官市川賴明 裁判官櫻井敏雄は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官田尾桃二)

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